【感想】東野圭吾『白鳥とコウモリ』【後半ネタバレ注意】

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小説

この本について

書誌情報

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タイトル白鳥とコウモリ
著者東野圭吾
出版社幻冬舎
発売日2021年4月7日
ページ数523

あらすじ

二〇一七年十一月一日。
港区海岸に止められた車の中で腹を刺された男性の遺体が発見された。
被害者は白石健介。正義感が強くて評判のいい弁護士だった。
捜査の一環で、白石の生前、弁護士事務所に電話をかけてきた男、
倉木達郎を愛知県三河安城に訪ねる刑事、五代。
驚くべきことにその倉木がある日突然、自供をし始める――が。
二〇一七年東京、一九八四年愛知を繋ぐ〝告白〟が、
人々を新たな迷宮へと誘う—。

東野圭吾『白鳥とコウモリ』特設ページ

感想

表紙の曇り空のような雰囲気が漂う作品

この本は、五代努シリーズの最初の作品です。ちょうど先日、2作目の『架空犯』が刊行されたばかりで、そもそも五代努シリーズの呼称が正しいのかよくわからないのですが…。

五代努というのはもちろん主人公。捜査一課強行犯係の刑事です。とはいえ、どうもキャラクターが薄味に感じました。優秀で勘も働き、人当たりは良く、立場を弁えつつ人の気持ちも尊重しようと努める、信頼できるタイプです。だからこそ、キャラクターとしては尖った個性がないなと思いました。ストーリーに重きを置きたかったのでしょうかね。

この五代が、所轄の中町と組んで捜査を進めます。相性も良かったのでしょうが、とても良い関係を築けていて、個人的に少し驚きました。というのも、直近で読んだ警察の登場する小説が『爆弾』で、その前になると横山秀夫の短編集をよく読んでいました。どれもこれも簡単に言えば、警察の人間関係が大概ギスギスドロドロしているわけです。その流れでこの本を読んだので、味噌カツ食べたいと話し合っている辺りでもはや感動を覚えたのでした。上司陣も話の通じる感じでしたし。ここで警察内部までグチャグチャしていたら話が進まないので、その点はストレスなく読めて良かったです。

本筋の話にいきましょう。帯やAmazonの紹介文にあるのが、『幸せな日々は、もう手放さなければならない。』という一文です。正直、私はこの煽り文で読む気持ちが少し萎えました。幸せな日々は終わるという悲壮感しか伝わらず、重たい話になる予感しかせず…。でも架空犯気になるしな、と思って読んだ次第です。

ちなみに重いかどうかで言うと、当然のように重めです。表紙の曇った雰囲気は内容にピッタリです。ただ、救いようがない感じではないので、読後にそこまで引きずりはしないと個人的には思います。

あらすじにある通り、白石健介の殺された事件については倉木達郎が自供をします。これはミステリー小説なので、それなら達郎の自供内容で解決!となるわけもなく。『「あなたの父親は嘘をついています」』というのは、帯にもあった台詞です。父親は達郎のこと。つまり、達郎はなぜ嘘をついているのか、嘘の先にある真実は何か、それを探っていくストーリーになるのです。

真実を求める中でも、達郎の裁判のための準備は着々と進んでいきます。加害者となった達郎の息子の和真や、被害者となった健介の娘の美令など、犯罪に巻き込まれた家族の心情も描写されています。現代らしく、ネット上で誹謗中傷されたり顔写真を拡散されたりという出来事にも少し触れられていました。

中盤はそうした状況の描写が多い印象で、真実を求めて一直線に突き進んでいくわけではありません。なので、その辺りはスローテンポに感じました。単行本なので余計にそうだったろうと思います。

どういう人に勧めたい本なのかと考えたのですが、答えが出ませんでした。長編ではありますが読みやすいので、あらすじで気になったのであればぜひ、と思います。

【ネタバレあり】社会派ミステリーとしてのそれぞれの要素

まずミステリー部分の話から。ミステリーとしては物足りなさを感じますが、この本のテーマはそこにはないことを考えれば妥当なのかもしれません。東野作品に残念ながらそこまで詳しくなく、昨今の作風となると全く知らないのですが、Wikipediaには『近年は、社会性に重きを置いた作品が多い。』とありました。これもそうなのでしょう。

何が物足りないかと言うと、ある程度メタ読みができることで失われてしまった意外性です。私は驚かされたい欲が強いので、そういう意味では満たされませんでした。嘘を指摘していくところは、読者の見抜きようがありませんし。

では社会性の部分ではどうかと言うと、正直あまりピンと来ませんでした。加害者家族、被害者家族、冤罪、誹謗中傷、裁判への参加…この辺りがキーワードになるのかなと思うのですが、これぞというものがよくわかりません。全体的にぼんやりしてしまった印象です。

例えば犯罪の加害者、被害者の家族になってしまった苦悩について、もちろんそうした描写はありました。ただ和真も美令も、達郎の自供によって作り上げられた二人の人物像に納得できない思いが強く、苦悩の存在が薄らいでいたように感じます。浅羽母娘はまさにその苦悩を抱えていたでしょうが、具体描写はありませんでした。

そういう描写が欲しいわけではないのですが、社会性の部分で伝えたことがあったとしたならなんだったのだろうと考えています。

【ネタバレあり】倉木達郎について考える

登場人物としては、中心的存在になる達郎の心情がわかるようでわかりませんでした。真面目で誠実で善人なのは間違いないのでしょうが、どうもズレている感じがします。自分のせいで息子が辛い目に遭う、その苦しみこそが罰なのだ、などと言うのもどうなのかと。息子を勝手に巻き込むなという話です。

「だから私はいったんです。倉木さんがしたことは間違いでしたよって。倉木さんは同じ間違いをしてしまったんだって」
「同じ間違い?」
「あの時も真犯人を知っていながら逃がした。それがそもそもの間違い。そこからいろんな歯車が狂ってしまいました。そうでしょう?」

東野圭吾『白鳥とコウモリ』p.514

最後に、そんな達郎に対して織恵からこの発言があったのは良かったと思います。今回は達郎に先手を打たれ身動きが取れなくなってしまっただけで、彼女は達郎が思うよりも強い女性であり、今後も前向きに生きていこうという姿勢でいるのが素敵でした。

そんな彼女の息子である知希は最後の最後でとんでもない動機をぶち上げてきたわけですが。ただ個人的には、当初の見立て通りの復讐による動機で終わっていたら綺麗にまとまり過ぎた気はします。また復讐だった場合、犯行を庇った達郎と健介はまさにその要因の人物たちなので、庇うことがある種道理にかなう行為になったとも考えられます。上で引用した織恵の言う通り、庇うのはやはり間違いなのです。だからこそ動機を復讐にさせなかったのかなと思いました。

とはいえ、過去の事件で健介を逃がした時の達郎の心情はわからなくもありません。灰谷の素行を知り、健介の身の上を知り、それを天秤にかけると…。あの咄嗟の状況で証拠隠滅を図るなんて中々できることではないと思いますが。

自分が間違っていると認めるのも、他人が間違っていると指摘するのも難しいですよね。そんな強さが自分にあるのかは心許ないところです。

まとめ

いくつかの点についてよくわからなかったと書いてしまいました。ただ、こうしてわからなかったなあという文章を書いて考えている内に、わからないなりの感想も出てきて、読了直後よりも面白かったと思う気持ちが強くなりました。噛めば噛むほど味出るタイプの小説のように思えます。

そういえば、白鳥とコウモリというタイトルは一体なんなのだろうと思いながら読んでいたところ、391ページに出てきました。

「光と影、昼と夜、まるで白鳥とコウモリが一緒に空を飛ぼうって話だ」

東野圭吾『白鳥とコウモリ』p.391

ここもよくわからないポイントでした。そういう例え方があるのかと検索したのですが、この本の情報が出てくるばかりで何も得られず。光と影、昼と夜がそのまま白鳥とコウモリに掛かっているということですかね。なんにせよ、一緒に空を飛んでいってほしいものです。

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