この本について
書誌情報
タイトル | 映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 |
著者 | 稲田豊史 |
出版社 | 光文社 |
発売日 | 2022年4月12日 |
ページ数 | 304 |
あらすじ
現代社会のパンドラの箱を開ける!
なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。
なんのために? それで作品を味わったといえるのか?
著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、
やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという
事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか?
いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか?
あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。
章立ては下記の通り。
序章 大いなる違和感
第1章 早送りする人たち――鑑賞から消費へ
第2章 セリフで全部説明してほしい人たち――みんなに優しいオープンワールド
第3章 失敗したくない人たち――個性の呪縛と「タイパ」至上主義
第4章 好きなものを貶されたくない人たち――「快適主義」という怪物
第5章 無関心なお客様たち――技術進化の行き着いた先
おわりに
感想
倍速視聴やファスト映画視聴が”普通”の世代
数年前に読みたいと思ってからずっと温め続けていた本で、正直なぜ読みたかったのかもはや覚えていないのですが、本の整理中に目に留まってようやく日の目を見ることになりました。ちなみに私は倍速視聴しない派です。
文中で提示されたデータによると、倍速視聴経験のある人が最も多い世代は20代で、男女合わせて49.1%に上るとのことでした。そして第1章を中心に、倍速視聴経験のある大学生たちにインタビューやヒアリングを行った時の生の声が紹介されています。
もちろん他の世代でも倍速視聴をしている層、若い世代でも倍速視聴をしていない層はいるはずですが、この本では「若い世代が倍速視聴をするのはなぜか?」というテーマで話が進んでいきます。若い世代とは、主にZ世代を指しています。
私がまず驚いたのは、10秒飛ばしです。倍速視聴をする風潮は知っていましたが、まさかスキップしているとは思いませんでした。勝手に無駄と判断したシーンを飛ばして、それで何か見落としがあって話が理解できなくなったらそれこそ無駄になるのではないかと感じたわけです。
ただ、流石にスキップは倍速ほど多くないようで、セリフのないシーンなどでのみ使われている傾向がありそうでした。昨今の映像作品における説明セリフの多さは、この辺りも関係していそうです。
一方、シーンどころか話も飛ばして最終話を見てしまう人、ネタバレサイトで先に内容を把握しているため飛ばしても問題ないと思っている人の声も紹介されていました。こうなってくると、出演者が好きだからという理由以外で作品を観る意味とはなんなのか、私にはよくわかりません。
若い世代が倍速視聴する理由の一つとしては、LINEで常に人と繋がっていることが挙げられていました。仲間と共通の話題で盛り上がるため、自分だけ蚊帳の外に置かれないため、みんなが観ているものは観る、聴いているものは聴く必要がある。そのコンテンツ数が膨大なので、等速で楽しむ時間が取れない。そんな事情です。
それならネタバレサイトで文字をざっと読んで終わらせれば、この世代が重視するコスパ、タイパ的にも大正解では?視聴しなくても話題にはついていけるようになるのでは?と思ったのですが。やはり一応は視聴する経験自体も必要なのでしょうか。あるいは、文字情報だけでは不足なのでしょうか。
もう一つ驚いたのは、広告代理店勤務の20代女性が、ファスト映画の視聴になんの負い目も感じていないことでした。著者によると、ファスト映画視聴を申告した大学生の相当数が違法性を認識していなかったそうです。調べたところ、インタビュー当時は既に逮捕者が出ている頃でした。
先のネタバレサイトも、私の感覚的にはグレーです。自分の言葉に置き換えられていたとしても、話の内容を全て載せてしまうのはどうかと思います。直接的に文字起こししているような場合は完全アウトでしょう。なので、ファスト映画ほどではないにしても、ネタバレサイトを見ていることも人前では言いにくいだろうと私は感じますが…この感覚も大分違いそうですね。
作品にも視聴方法にも自分の快適さを求める
第4章では、倍速視聴の外的要因と内的要因を「快適主義」という別観点から考えています。快適主義とは、作品に快適さだけを求めることです。特にそれが幅を利かせているのがライトノベル界隈(なろう系)との言は、実感としても合っていると思います。主人公は最強で、展開はある程度決まっているもの。そのノンストレスさが癖になるのは私にもわかります。
視聴者のワガママ化、ある種の快適主義を「当然」と言うのは、前出の森永真弓氏だ。
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』p.195
「エンタメに対して”心が豊かになること”ではなく、”ストレスの解消”を求めれば、当然そうなります。心に余裕がない、完全にストレス過多なんですよ、特に若い世代は」
十数年前は、「社会人になるとストレスのない日常系萌えアニメが沁みる」とアニメオタクが言っているのをよく聞きました。それが今はなろう系になり、しかもストレスを感じたがらない世代のラインが下がっているということなのでしょう。ストレス社会はこういうところにまで影響が出るのかと愕然としました。
関係ない話ですが、先日『涼宮ハルヒの劇場』を読みました。ハルヒシリーズは今から読んでも面白いと思います。ただ、ネックなのが主役であるハルヒのキャラクター。昔よくいた、いわゆる暴力系ヒロインにカテゴライズされます。(ハルヒは暴力を振るうのではなく暴力的に周りを振り回すタイプ。)ここがZ世代にはストレス要因になりそうで勧めにくいなあとちょうど感じていたところでした。
快適主義の表れの一つとして、心を揺さぶられたくないという思いもあるそうです。感情的にさせられるのは疲れるので、感情の起伏を抑えてフラットな状態でいたいと。これも気持ちはわかります。ふと思い出したのは、老人が時代劇を観る理由です。時代劇はワンパターンなので、老人にとってはハラハラさせられなくて良いのではないかと、以前どこかでそんな意見を見ました。つまり今こそ時代劇復権のチャンスなのでは…?
こうした快適主義が作品自体に対してだけではなく、その視聴方法にまで及んだ結果、倍速視聴や10秒飛ばしに繋がるというわけです。個人的には、第3章までは全く考え方が違う世界の話だったのですが、第4章の快適主義パートでは共感できる部分が一気に増えました。
まとめ
彼らを「けしからん」と説教したり、「つまらない奴らだ」と憐れんだりするのは簡単だが、そう説教したくなる年長世代が若かりし頃には、キャリア教育の圧もSNSもなかった。
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』p.175
Z世代はソーシャルネイティブ、つまり物心ついた時からSNSに慣れ親しめる環境が身近にあった世代です。インタビューやヒアリングを受けた大学生たちの声をいくら読んでも、世代の違う私には納得しかねることばかりでしたが、彼らにしてみれば納得しかねる意味がわからないだろうと思います。
どちらが良い悪いの話ではありません。ただ、倍速視聴をする要因の一つには恐らく余裕のないストレス過多の社会が関係していると思うと、なんともやるせない気持ちになります。
この本では映画の倍速視聴を中心に、Z世代の考え方や彼らを取り巻く環境、映像や書籍といった作品の立ち位置など、想像以上に幅広い話題に触れることができました。著者の立場は明確で、私もそちら側だったのでより面白く読めたのだろうと思います。当のZ世代が読んだらどう感じるのかは気になるところです。
以下の引用は、この本を締めくくる著者の言葉です。全く同意見というか同感覚というか。
本書序文の最後で筆者は、「同意はできないかもしれないが、納得はしたい。理解はしたい」と記した。たしかに、多くの人が倍速視聴せざるをえない背景には納得した。倍速視聴がどのようにして必然を獲得したかも理解した。ただ、それでもやはり思うのだ。
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』p.300
映画を早送りで観るなんて、一体どういうことなのだろう?