「円紫さんと私シリーズ」とは?
いわゆる「日常の謎」を扱ったシリーズ作品です。
主人公の<私>(シリーズ開始時点では大学2年生)が身の回りで起こる謎や疑問について、落語家の春桜亭円紫に相談して回答を見つけるのが基本スタイルです。詳しくは1作目の『空飛ぶ馬』の感想も参考にしてください。
謎解きばかりではなく、巻数が進むにつれて人生のステージが変化していくことによる主人公の成長を見られるのも魅力の一つ。また、文学作品を深掘りしていく内容の4作目と6作目は当然として、全体的に文学に関する話題も多いです。それらに興味のある人、知識のある人は、より一層楽しみながら読めると思います。
シリーズ全作品のあらすじと感想
2作目以降の感想は、それより前の作品を読んでいる前提で書いています。つまり、2作目以降は前の作品のネタバレになる情報も含まれている場合があるのでご注意ください。
1. 空飛ぶ馬
1989年刊行ということで、読んでみると確かに古さを感じる部分はあるものの(テレホンカードや使い捨てカメラが登場します)、違和感を覚えるほどのレベルではありません。私の年齢の関係もあるかもしれませんが、令和の時代でも自然に読めました。
主人公は、恋愛に憧れながらも悲観的な19歳女子大生の<私>。物語は彼女視点で進みます。ともすれば生意気に思われてしまいそうなくらい文学の知識が文章内に溢れていて、正直私の知らないことばかりでした。
探偵役ポジションにいるのは、落語家の春桜亭円紫(しゅんおうていえんし)。知性的かつ冷静で判断能力も高く、落ち着いた人柄が魅力的です。
落語ファンと落語家本人が揃っているので、当然落語に関する話題は多いです。私は週刊少年ジャンプの『あかね噺』から得た知識程度しか持ち合わせていませんが、噺の説明などもしっかり入っているお陰で、知識がなくても問題なく読めました。同様に、先に書いたような主人公の知識量についていけなくても大丈夫だと思います。
ただし「落語ファンなら、思わずニヤリとするところ(p.354)」があり、物語の随所に色々な仕掛けが施されていると解説ページにありました。落語を知っていればより面白いようです。
物語については、日常の謎なので和やかなものばかりかと思っていたら大間違いでした。中々辛い(からい)なと感じるものもあります。確か東大王の水上さんが中学生に勧めたい本として挙げていた作品だったので、余計に油断があったわけですが…。
とはいえ、そういう物語こそ心に残るのもまた事実。主人公もこれらの出来事を経て成長していくのだろうと思うと、楽しみでもあります。
一番印象に残ったのは下記の文章でした。
知で情を抑えることは出来るのに、その逆は出来ないのです。そこが知で動く人間の哀しさではありませんか。そういう意味で、知は永遠に情を嫉妬せざるをえないのでしょうね
北村薫『空飛ぶ馬』p.273
2. 夜の蝉
1作目よりも、恋や愛の話題が多かった印象でした。
私が特に気に入っているのは、表題作の『夜の蝉』です。
1作目では、姉の登場シーンはほぼありません。2作目の前2話では、姉に対する主人公の複雑な感情が見え隠れしていました。2作目の3話目で、そんな姉の「光のない、夜のような顔」を初めて見てしまった主人公。そのことについて姉が話してくれて…という流れです。
二人とも既に大人で、そのまま当たり障りのない態度を取りながら生活を続けていくこともできたでしょう。だからこそ、この物語で描かれた姉妹間の出来事は美しいなあと思いました。人間ドラマという点では一番好きです。
それから、『朧夜の底』の中で個人的に強く共感した文章があったので紹介しておきます。
<<恋>>には理屈を越えた魔力みたいなものがあると思う。それが感じられない。子供の頃には大丈夫だった。(中略)だが中学校以上になると、そんな風な論理を越えた感情を持てなくなった。
北村薫『夜の蝉』p.49
いろいろなことを考えるようになったせいだと思う。
3. 秋の花
「明日輝くような何かをしようと思った、その明日が消えてしまったら、どうなのですか。その人の<<生きた>>ということはどこに残るのです」
北村薫『秋の花』p.245
初の長編で、初の死人が出てしまう作品です。
真理子と利恵に最後に会ったのはいつだったかと主人公が振り返るシーンは、前作『夜の蝉』の189ページに出てきたところ。「あの二人だったのか」と、その時のなんでもない平和な情景を思い出すと、より一層切ない気持ちになりました。
文化祭の準備中に、屋上から転落してしまった真理子。事故として処理されたものの、そもそもなぜ屋上にいたのか、その理由すらわかっていない状況でした。
他にもいくつかの謎が出てきますが、そこは円紫さんが当然のように解き明かしてくれます。謎解きの点で言うと、長編だから大掛かりということはありません。
本作では、どうしようもない人の運命について考えさせられました。ミステリーというより、青春小説の色が濃い物語だったと思います。
4. 六の宮の姫君
芥川龍之介の『六の宮の姫君』が書かれた背景には何があったのか。それを調べるべく、本作ではこれまで以上に主人公が様々な本を手に取っています。
正直に言うと、近代文学の素養がまるでない浅学非才の身である私には、ついていけなかった部分も多くありました。内容は、芥川の六の宮を読んでいなくても理解できるほどわかりやすく書かれているとは思うのですが、あまりにも前提知識がないのですっきり飲み込みにくかったです。逆に素養があれば普通以上に楽しめるのだろうと思います。
ただ、内容全てを理解したとはとても言い切れない私でも、芥川の心情には共感するところがありました。近代文学の作品を読んでみたくもなりました。
特に気になった作品は、231ページ辺りで紹介されていた菊池の『頸縊り上人』。その終わり方はともかくとして、内容が好きです。昔も今も人間は変わらないなと…。
本作は主人公の最終学年の物語で、就職に関する話も出てきます。なので、シリーズを通して楽しむ上ではこの巻ももちろん読んだ方が良いです。252ページにあった主人公の決意の瑞々しさが素敵でした。
5. 朝霧
主人公がついに社会人になった本作。
大学生時代を描いた1~4作目は、時間の流れがゆったりしていました。旅行に出かけるシーンが必ずどこかにあって、非日常ののびのびとした雰囲気が味わい深かったものです。
本作は、『走り来るもの』の時点で就職してから2年経過しているなど、これまでよりも時間の流れが早いように思いました。社会人の実感としてもそうなるだろうとは納得できつつ、読者としてはなんとも言えない寂しさを感じます。
印象的だったのは、田崎先生に自分の若い感覚を諭されるシーンです。『走り来るもの』でも、主人公の考えは若くてかわいいなどと言われていました。
古今東西の色々な本を読んで様々な知識を吸収していながらも、そういう年相応のかわいい考え方をする主人公が私は好きだったのですが。次作では何か変化があるのかしらと期待と不安が入り混じっているところです。
「几董のような暗い悲劇的な生き方に感傷的な眼を向けることはいかにも若い。本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ」
北村薫『朝霧』p.253
6. 太宰治の辞書
『朝霧』で時間の流れが早いと書きましたが、本作はそれ以上です。連れ合いと呼んでいる夫がいて、子供はなんと既に中学生。前作から結構な時が流れたようです。実際の刊行が前作から17年空いているので、それを考えると妥当な経過時間のようですが。
端々で恋への憧れを覗かせていた主人公が結局どういう恋愛をしたのか、相手は前作でも触れられていたあの人なのか、色々気になりつつ…わからないからこそ良いのかもという思いもありつつ…。
本作の路線は4作目の『六の宮の姫君』と同じく、文学上の謎を追いかける形になっています。例によって太宰もそれなりにしか読んでいない私ですが、六の宮の時ほど難しいとは思いませんでした。
ただ、日常のふとした謎を解くミステリーが欲しかったので、そういう意味では正直物足りなかったです。主人公も円紫師匠も年を取り、初期のような関係性での謎解きはもう無理なのだろうと思うと寂しいですね。
良かったのは、正ちゃんとの本の貸し借りの会話です。こればかりは時を経なければできないものだったでしょう。
解説は米澤穂信さんでした。
まとめ
私は大人になってから読んだので、主人公の<私>の視点を一歩引いた目で見ることができました。ただ、中高生の多感な時期に読んでみたかった気持ちもあります。多少は影響を受けて、作中に登場した作品たちに背伸びをして挑戦した可能性は高いと思います。今以上に心に響くところも多くあったに違いありません。そう考えると、『空飛ぶ馬』の箇所で触れたように、中学生に勧める本として挙げるのもわかる気がしてきました。
なぜ今まで読まなかったのかというと、少し古い作品だからと手を出すのに躊躇していたからです。その間にすっかり時が経ってしまいました。もし同じような理由で躊躇しているのであれば、ぜひ気にせず読んでみてほしいです。特に最初の1、2巻は短編集なので気負わずに読めるはず。
『空飛ぶ馬』は、「日常の謎」の歴史を語る際には必ず言及される作品です。このジャンルを気に入って新しく刊行される作品を手に取る前に、一度原点に立ち返ってみるのもおすすめですよ。