【感想】呉勝浩『爆弾』【後半ネタバレ注意】

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小説

この本について

書誌情報

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タイトル爆弾(講談社文庫)
著者呉勝浩
出版社講談社
発売日2024年7月12日
ページ数500

あらすじ

東京、炎上。正義は、守れるのか。

些細な傷害事件で、とぼけた見た目の中年男が野方署に連行された。
たかが酔っ払いと見くびる警察だが、男は取調べの最中「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。
直後、秋葉原の廃ビルが爆発。まさか、この男“本物”か。さらに男はあっけらかんと告げる。
「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。
警察は爆発を止めることができるのか。
爆弾魔の悪意に戦慄する、ノンストップ・ミステリー。

講談社BOOK倶楽部

↓わかりやすいあらすじ漫画もあわせて紹介します。

感想

刑事たちを手玉に取る男の話術にハマる

2023年度の「このミステリーがすごい!」と「ミステリが読みたい!」という二つのランキングで1位を獲得した作品です。私は文庫化を待って読みました。

あらすじの文章にある中年男が、この作品の要となる人物です。名前はスズキタゴサク、年齢は49歳。あくまでも自称で、それ以外の情報については記憶喪失だなんだと言いながらのらりくらりと追及をかわし、正体を明かそうとしません。

そんな男が、霊感だと言って爆発の予言をします。最初にスズキの対応にあたっていたのは野方警察署の等々力でしたが、実際に爆発事件が起きたことで、警視庁捜査一課特殊犯捜査係の清宮、類家らが尋問を行うことに。

私が一番面白いと思ったのは、スズキと清宮が取調室内でやり取りするパートです。スズキは清宮に対して会話ゲーム(「九つの尻尾」)を持ち掛け、少しでも爆弾に関する情報が欲しい清宮はそれに応じます。

このスズキの特徴の一つが、自分を卑下する話術です。清宮が、『この徹底した自己卑下が、苛立ちを喚起する。』(p.270)と感じるほど。

卑下するだけではなく、非道徳的、非倫理的とも言えるようなロジックを持ち出すことも多いです。例えば、命は平等かどうかという話題で。例えば、復讐と愛情はイコールかどうかという話題で。警察側は、内心はどうあれ、あまり危険な発言はできません。一方のスズキは自由です。「爆発したって、べつによくないですか?」(p.23)と自然に言ってのけられます。知らない人間がどうなっても関係ないだろうと。

問題は、スズキのロジックに一理あると思わされてしまうことです。確かに、そうとも言えるかもしれない…。自分もそう思う気持ちがないとは言えない…。こうした心の隙間から、スズキの術中に嵌まってしまうのだろうなあと感じました。スズキとしては、相手が苛立っているのならなおのことやりやすいでしょう。先の自己卑下話術とのコンボは非常に強力、凶悪です。

解説にはこうあります。

刑事たちはスズキタゴサクとの対決を通じて、自分の心の中にも暗部がある事にふと気づいてしまう。

呉勝浩『爆弾』p.506

刑事たちが暗部に気付くことで、読者もそれについて考えさせられます。こうした、いわば正解のない倫理の問題に向き合うのが好きな方は、特に楽しめるのではないかと思います。

ミステリーなので謎解き要素もありますが、スズキの会話劇に夢中になっていた私はあまり気にしていませんでした。最後には「なるほど」と思えたものの、この作品は謎に引っ張られて読み進めたわけではなく、スズキ自身のことが気になって読み進めたという感じです。

先に挙げた刑事以外の登場人物もいて、章ごとに語り手が切り替わる群像劇の形が取られています。500ページもの長編でも読みやすかったのは、一つの場面がだらだらと長引かないことも理由としてあると思います。

【ネタバレあり】改めて全体を見てみると

繰り返しになりますが、一番面白かったのはスズキと清宮のゲームです。過程もさることながら、ゲームの最後に心の形をきっちり示すスズキの手腕の鮮やかさが見事でした。

そもそもはスズキが心の形を当てようと言って始まったゲームでしたが、スズキ以外の誰もそんなことに興味を持ってはいなかったので、私もすっかり頭の隅に追いやっていたところでのあのラスト。序盤は、心の形をどう言い表すのだろうと思っていたものです。清宮のパズルの話が回収される形も綺麗でした。

このゲームで清宮が敗北した直後、沙良の章に場面が転換します。命令を無視した状況で、スズキが住んでいたと疑われるシェアハウスを訪れる沙良と矢吹。シェアハウスの謎めいた雰囲気にも惹き付けられましたし、やはりここでの爆発はインパクトがありました。

全体は三部構成で、ここまでが第一部です。

第二部以降は、清宮の代わりに類家がスズキと対峙します。視点は清宮のままです。この清宮から見れば化け物同士とも言える二人のやり取り、面白くないわけではないのですが、スズキ側が情報を出せず口数が減ったこともあって、個人的には清宮のゲームの時ほど盛り上がりませんでした。

結局私はスズキのキャラクターが気に入っていたのだろうと思います。実在しているとしたらどうかと言われれば、近付くのは可能な限り遠慮したいと感じてしまいますが、小説に登場する悪役としては非常に魅力的です。だからこそ、終盤で存在感が少し霞んでしまったのは残念でした。

残念ポイントをもう一つ挙げると、緊迫感に欠けたことです。例えば第三部では山手線の複数駅で爆発が起きたわけですが、それで特にハラハラドキドキするなんてことはありませんでした。影響の大きさは理解できます。被害者も多いでしょう。ただ、読者としてはそうした事実以上に感じさせられるものが欲しかったところです。

ゆかり視点の章が、市民がパニックになる状況を伝えて緊迫感を高めるためのものだったのかなと思いましたが、一介の女子大生が爆弾を恐れて慌てて警察署に逃げようとする様子、そしてその目を通した周囲の様子を描かれたところで、正直あまり響いてきません。

先に述べた第一部の沙良の章での爆発は、まさにその現場に沙良がいて、しかも一緒にいた矢吹の右足が実際に吹き飛ばされてしまっています。ここは臨場感、緊迫感がありました。この感じが終盤にもあれば大盛り上がりだったなあという気がします。

【ネタバレあり】スズキタゴサクについて

スズキは類家との対決を「引き分け」と言いました。結果だけ見ればスズキの勝利だと思うのですが、どういう心境だったのでしょうね。最後の最後で「類家さん」と名前で呼んでいたので、類家を認めたことだけはわかります。

最後の「砂糖まみれの想像」のくだりで類家が話す内容は当たっていたのでしょう。スズキは伊勢に対してこう言っていました。

「勝手に人の心を読み取ったつもりでいられるのは嫌でした。ほんとうに嫌でした。耐え難いほどに」

呉勝浩『爆弾』p.240

そんなスズキが類家の話に反発する素振りを見せなかったのは、そういうことなのだろうと思っています。

スズキは清宮の言うように悪だと言い切ってしまわなければならない存在であっても、それはそれとして、環境が違えば何か人のために活躍できる人生もあったのだろうなと感じずにはいられません。

性格は歪んでも、頭の回転の早さ、相手を見極める観察眼の鋭さなどは加減のしようもなく、それがために色んなものが見えてしまうのはさぞ生きづらいだろうと。それでも「まあいいや」で流して生きていたのに、今回の件で振り切れてしまったと。個人的には、スズキは生まれながらのサイコパスという感じはしません。だからこそ、相手の気持ちを汲み取った弱い部分を的確に突く恐ろしい存在になったのではないでしょうか。

とはいえこんな同情的なことが考えられるのは私が全くの無関係な人間であるからで、ゆかりの章で描かれていた大学生たちと本質的には変わらないところなのかもしれません。

あの大学生たちといえば、正直私はスズキより蓮見の方が嫌いです。登場シーンは2回しかありませんでしたが。世間で起きている事件を外から眺めて好き勝手に論じてわかったような気になっているあの態度は、スズキより余程リアリティがある上に、恐らく自分にもそういう一面があるからこそ見ていて腹が立つのだろうと思います。

【ネタバレあり】まとめ

スズキは関わった刑事たちの暗部を引きずり出すことにはある程度成功し、ただ、刑事たちはそれでも悪に落ちることなく踏み止まって終わります。私はハッピーエンドの方が好きですが、これはバッドエンドになっても綺麗にまとまったのではないかという気がするので、それも見てみたかったです。

スズキレベルまではいかなくても、この手の人間と顔を突き合わせる機会が多ければ、悪に染まってしまう人が一定数出ても不思議ではないと思います。それでもこの作品に出てきた刑事たちのように、正しい方に立とうとする姿勢のなんと素晴らしいことか。当たり前と言われればそうなのかもしれませんが、本音を簡単に晒すこともできない状況の中、信念を持って仕事を遂行するのは本当にすごいと思います。…と、世で真っ当に働いている警察の方々に思いを馳せました。

ところでこちらの作品、2024年7月31日に続編が刊行されました。今回の話で暗部と向き合った刑事たちがどういう心持ちで仕事を続けているのか、気になるところです。登場するのかどうかわかりませんが。

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