この本について
書誌情報
タイトル | 外来種は悪じゃない ミドリガメのための弁明 |
著者 | 伊地知英信 |
出版社 | 草思社 |
発売日 | 2023年7月28日 |
ページ数 | 192 |
あらすじ
東京近郊の公園近くに住み河川や池の自然保護活動などにも参画している著者が、自然保護に関する歴史や現在の実情、各国の政策などについて、外来生物の論点を中心に語っている本。タイトルの通り外来種を悪とする風潮に反対しつつ、より良い自然のあり方も考察する。
章立ては下記の通り。
第1章 それは公園の池からやってきた
第2章 外来って、どんなこと?
第3章 実は、どこにもない手つかずの自然
第4章 外来種がいないと困る在来種
第5章 今ある自然を見直す
第6章 外来種も暮らす新しい自然
感想
外来だから悪いという論理に違和感
外来生物と聞いて思い浮かぶのはブラックバスくらいで、それについても全く詳しいわけではなく、要するにその話題に関心を持ったことはなかったのですが。2023年6月1日からアカミミガメとアメリカザリガニが「条件付特定外来生物」に指定されるというニュースを見て、一気に興味がわきました。なぜかと言うと、我が家にはアカミミガメ(かわいい)が同居しているからです。
改めて考えるに、外来生物だからという理由だけで駆除されるのはおかしいと思います。本の中でも紹介されていましたが、例えばハブやネズミ退治をさせるために連れてこられた奄美大島のマングースの件。かわいそうな話ですが、アマミノクロウサギなどの希少種の存続が脅かされること、またマングースが来る以前の状況がわかっていてそこに戻すという目的も明確だったので、全て駆除されるのも仕方ないと理解できます。他の外来生物でも、例えば数が増え過ぎると問題だからと一定数駆除されるのもわかります。そういう理由もなく、平和に暮らしている外来生物を片っ端から闇雲に駆除していくのには反対ということです。
この本のタイトルを見た時には「これだ!」と思いました。同じような考えを持ちながら私の興味のある話をしてもらえるのではないかという期待感で、すぐ本を手に取った次第です。そもそも外来種、外来生物といった言葉になんとなく悪いイメージがついてしまっているのが良くないですね。「ミドリガメのための弁明」というのにも惹かれました。ミドリガメはアカミミガメのことです。なお、このサブタイトルから期待するほどアカミミガメの話は多くありませんでした。少し残念。
外来生物は悪者で、在来生物は良い存在だという単純な考えにも疑問を抱く。つまり生き物を良い悪いで見ること自体がおかしな自然観だと思うのだ。だから外来生物を取り除けば「理想の自然」が再現される、という考えを疑っている。
伊地知英信『外来種は悪じゃない ミドリガメのための弁明』p.12
【補足】
外来生物と外来種は同義的に使われることも多いようですが、厳密な定義は以下の通りです。
『外来生物』… 外来生物法では、「海外から我が国に導入されることによりその本来の生息地又は生育地の外に存することとなる生物」と定義されている「法律用語」。つまり、国外から日本に導入されるもののみを対象としており、いわゆる国内由来の外来種は含まない。
『外来種』… 導入(意図的・非意図的を問わず人為的に、過去あるいは現在の自然分布域外へ移動させること。導入の時期は問わない。)によりその自然分布域(その生物が本来有する能力で移動できる範囲により定まる地域)の外に生育又は生息する生物種(分類学的に異なる集団とされる、亜種、変種を含む)。
https://www.env.go.jp/nature/intro/1law/yougo.html
人間の都合を押し付けられる外来種
あらすじで紹介した通り、この本で紹介されているのは外来種の話だけではなく、自然、生態系、生物といった大きな括りに対する有名な思想や、歴史に法律といった分野にも触れられています。
私はその中でも、146ページから紹介されているアメリカの植物生態学者マーク・A・デイヴィス氏の考え方に最も共感しました。生態系内で種のバランスは常に取れているとする旧来の考え方は幻想で、現実は「適者生存」の結果に過ぎず、そこに入り込んだ外来種を人間が推論で評価して管理する危うさに疑問を呈しています。また、生物を人間が移動させることと自然に移動することに大きな差はなく、「生態系における在来種と外来種の区別には科学的な根拠はない」とありました。そして在来種と外来種は競合することもあるけれども、外来種が在来種を助けることもあり、一長一短だと。
著者によると、外来生物かどうかを決めるにはその生き物が持ち込まれた時代で判断する考え方もあり、最近ではクサガメが江戸時代以降に持ち込まれた可能性があるので外来種ではないかという話も持ち上がってきているそうです。それを言い出したらきりがないように思えます。問題視されている在来種のイシガメとの交配については、稀に雑種が生まれることはあっても、クサガメとは基本的には繁殖時期がずれているため生殖的な隔離ができているとありました。
在来種を守るのはもちろん大切なことだと思います。だからといって、少しの雑種も認めないというのも極端な気がします。外来種のいない昔のような豊かな自然こそが理想とされている…のかどうかは知りませんが、それは結局人間のエゴですよね。そもそも外来種が発生したのは大体人間側に原因があるわけで。そもそも外来種も自然の一部なわけで。考えれば考えるほど、外来種は人間の都合を押し付けられているように感じます。
自然保護は人間の「善意の介入」である。しかし実際には「余計なお節介」になっていないかと心配になる。
伊地知英信『外来種は悪じゃない ミドリガメのための弁明』p.13
まとめ
生き物の殖えすぎは、その自然にとってもいろいろ困った問題を引き起こす。また殖えた生き物自身にとっても、同じ資源を利用する「同種」が増えるために、あまり良いことではないだろう。
伊地知英信『外来種は悪じゃない ミドリガメのための弁明』p.71
(中略)
忘れてはいけないことは、単純になってしまった自然では、在来種だって「どかっ」と殖えて困った問題を起こすことがあるということだ。
最後の第6章では自然の守り方についての様々な方法が語られていました。私としては、外来種だから駆除する、在来種だから守るという単純な図式で行動するのではなく、特定の生物が増え過ぎて問題になるようなら駆除をするにしても、ある程度のところまでは見守っていく姿勢で良いのではないかと思っています。生物に限ってはですが。
ただ、今のところは非常に浅い知識でものを言っている自覚があります。もしかするとまた考え方が変わるかもしれません。別の立場から論じている本なども読んで、改めて考えたいと思います。
それと138ページから述べられている通り、駆除の方法についてももう少し検討されるべきでしょう。
陸上に放り出されて窒息していく魚の姿は、流行している「かいぼり」の現場ではよく見られる光景だ。大物を釣り上げた釣り人のように、自慢げに「大物」といっしょにニッコリ写真に写る「善意の自然保護者」も多い。時代が変わって、そんな写真がとんでもない悪い人の証拠にならなければ良いのだが。
伊地知英信『外来種は悪じゃない ミドリガメのための弁明』p.139
例えばカメの安楽死法は、37ページにある通り冷凍室で実施されているようです。環境省のホームページにもそう書いてあります。ですが、JAVA(NPO法人動物実験の廃止を求める会)は「大変残酷な方法」として非難の意思を表明しています。以前ニュースで見た、駆除作業者に捕まったアカミミガメたちはどう処分されたのかと思うと辛い気持ちになります。できることなら安らかな最期を迎えてほしいものです。
この記事はカメにかなり偏った内容になってしまいました。外来種の植物や身近な雑木林から見る自然の話など、本の中では話がより幅広く展開されているので、ぜひ実際に読んでみてほしいと思います。