【感想】斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』

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その他

この本について

書誌情報

著:斎藤 真理子
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タイトル韓国文学の中心にあるもの
著者斎藤真理子
出版社イースト・プレス
発売日2022年7月10日
ページ数328

あらすじ

なぜ、韓国文学はこんなに面白いのか。なぜ『82年生まれ、キム・ジヨン』は、フェミニズムの教科書となったのか。世界の歴史が大きく変わっていく中で、新しい韓国文学がパワフルに描いているものはいったい何なのか。その根底にあるのはまだ終わっていない朝鮮戦争であり、またその戦争と日本は深くつながっている。ブームの牽引者でもある著者が、日本との関わりとともに、詳細に読み解き、その面白さ、魅力を凝縮する。

章立ては下記の通り。

第1章 キム・ジヨンが私たちにくれたもの
第2章 セウォル号以後文学とキャンドル革命
第3章 IMF危機という未曾有の体験
第4章 光州事件は生きている
第5章 維新の時代と『こびとが打ち上げた小さなボール』
第6章 「分断文学」の代表『広場』
第7章 朝鮮戦争は韓国文学の背骨である
第8章 「解放空間」を生きた文学者たち
終章  ある日本の小説を読み直しながら

感想

韓国の歴史と文学作品を一緒に理解できる

2024年10月、ハン・ガンがアジア人女性として初のノーベル文学賞を受賞しました。私もミーハーなもので、それなら作品を読んでみたいなと興味を持って検索していた時に、こちらの本に出合いました。

著者はハン・ガン作品も手掛けたことのある翻訳家です。その立場からも韓国文学の翻訳や出版が近年増えていると感じていて、本の中ではなぜ韓国文学を集中的に読む人が出てきたのかを考えつつ、韓国の歴史に沿った読書案内が展開されます。

一つ大それた希望を言うなら、韓国文学を一つの有用な視点として、自分の生きている世界を俯瞰し、社会や歴史について考える助けにしてもらえたらありがたい。

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』p.5

章タイトルで気付く人もいると思いますが、構成としては2010年代後半から1945年まで歴史を遡って見ていく形になっています。実際にニュースなどで見聞きした記憶のある話に始まり、なるほどと思いながら読み進めて(ハマって)いった最後に、韓国文学を読む上で最重要とも述べられている朝鮮戦争の話が来るので、気を緩める暇もないままに読み終えることができました。

これを読んだからといって韓国文学の根底に流れる思想を全て理解できたとはとても言えませんが、1945年以降の歴史概要は理解できた上に、その歴史に関する文学作品の紹介も充実していて、案内の内容も流れも非常に参考になると感じました。

私自身は韓国文学を数冊程度しか読んでいません。なんならよく理解できない部分もあり、韓国文学は難しいというイメージすらありました。この本を読んだ後は、少しは理解できるようになったのでは?という自信が出てきました。それは恐らく勘違いで、更にしっかり学ばなければならないのだろうとも一方では思います。いずれにしても、韓国文学への取っ掛かりは掴めたような気がします。

第1章で取り上げられる小説『82年生まれ、キム・ジヨン』は、この本の解説を読まずまっさらな状態で読んだ方が素直な感想を持てるように思いますが、それ以外についてはこの本で取っ掛かりを掴んでから読む流れもおすすめです。

韓国文学を読む上での要となる朝鮮戦争

韓国文学を読む上で、いちばんの要となるのは朝鮮戦争だ。それは文学の背景ではなく、文学の土壌に染み込んでいる。もっといえば、それは韓国文学の背骨に溶け込んだ、カルシウムのようなものかもしれない。たとえ表面から見えなくとも、また若い世代の作品においても、このことは同様といってよい。

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』p.178

上の引用は、朝鮮戦争が主題の第7章の冒頭部です。ここまで言われているにも関わらず、私は朝鮮戦争のことを何も知らないと気付いて愕然としました。208ページに中上健次氏の「ああ、なんでこんな大事な大きな悲劇を知らなかったんだろう」という言葉が紹介されています。同じ気持ちです。

「戦争と文学」という二十巻にもわたる膨大なシリーズの一巻(中略)の解説で編者の川村湊は、「現在の歴史教科書では、朝鮮戦争と日本の関係を特需景気に焦点を当てて記している。現在の『日本人』にとっての朝鮮戦争とは、ここに示されるように、経済的な復興のきっかけをもたらしたもの、とするのがおおよその歴史認識となっていよう」と、さらりとまとめている。

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』p.283

私の認識も全くもってこの通りです。朝鮮戦争に触れる機会といえば教科書くらいで、そこから日本に特需景気をもたらした以上のことを学んだ記憶はありません。これでは韓国文学を読んで理解できない部分が出てくるのも当然ですね。

この章で特に印象的だったのが、選択の話です。

朝鮮戦争は、選択の余地のなさが最大限に達した状況である。群として選択肢を失った結果、一人ひとりが厳しい選択を迫られ、選択の自由がないのに、選択の結果があまりに重い。

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』p.160

国土のほとんどが戦場となった朝鮮戦争では戦線が大きく動き、地域の支配者が入れ替われば自分の立場も逆転してしまう状況があったそうです。その中で、例えばソウルから避難する人は長距離移動をしなければならず、避難しないあるいはできなかった人は裏切り者扱いされ、潔白だと証明できなければ処罰を受けたと。あまりにも厳しい話です。

かといって、今の私なら「避難できないのも仕方なかったじゃないか」と思えますが、戦時下の疑わしきは罰するという状況、明日の我が身すらわからない状況で同じように思えるとは言えません。心のゆとりなど持てるはずのない市民の選択のどちらかを責めるなんて到底できません。

戦争における直接的な脅威とは別に、こうした選択の自由が失われる恐怖もあるのだなと思いました。そしてなんとなく、自己責任論の台頭した社会にも似たようなことが言えるのではないかと感じました。

まとめ

思えば2024年12月3日に韓国で突如として戒厳令が出された時、私は全く事態が呑み込めずネットの情報を追いかけたものでした。先にこの本を読んでいれば、事態の重さがもう少しすんなり理解できたと思います。

そんな中で驚いたのは、すぐに多くの市民が国会前に集まっていたことです。日本人目線だと単純にすごいなと思ってしまいましたが、すぐに動かなければならなかった歴史的、社会的な事情が積み重なっての結果なのだろうと考えると、なんとも言えません。その厳しさを前にして、日本人ならどの程度動くかといった仮定の話題は無意味なように思えます。

韓国文学について知りたくて読んだはずでしたが、期せずして文学以外のところでも多くの学びがありました。そして韓国のニュースに対する反応も以前とは違ってきて、歴史を知ることの大切さを改めて実感した次第です。

最後に、心に響いた箇所を紹介して締めたいと思います。

「私たちに過ちがあるとすれば、初めから欠陥だらけで生まれてきたことだけなのに」
ハン・ガンのこの言葉は、一人一人の人間について言われた言葉でもあり、また、社会や歴史そのものを指しているのかもしれない。世の中は初めから欠陥だらけである。歴史も傷だらけである。それを、一人が一人分だけ、一生かけて、修復に修復を重ねて生きていく。

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』p.293

1行目の言葉は、『回復する人間』に収録されている「明るくなる前に」から引かれています。そもそも私がなぜ韓国文学を数冊でも読んだのかと言うと、こうした繊細でありながらも心に訴えかけてくるような文章に惹かれたからということを思い出しました。この本の紹介を読む限り、ハン・ガン作品は痛みを感じさせるものが多いようなので少々及び腰になっている私ですが、いつかは読んでみたいです。

著:斎藤 真理子
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2025年1月17日に増補新版が刊行されます。
「この2年、激動する韓国文学の重要作の解説を加筆、40頁増の新版登場!」とのこと。

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